
人生にはインスピレーションが必要
このドキュメンタリーの感想は一言で語れない。むしろ「人それぞれの想い」という言葉が頭をよぎる。「映画に関して特にメッセージは無いです」と日本からのズームインタビューに参加してくれた中原想吉監督が最初に話すと、主演の鈴木直也さんも「観てくれた人のコメントを聞いて、そういう風に感じてくれたのだと逆に教えてもらった」と続けた。そんな自由なテーマの中にワクワクするような発見がある。
まず最初に映画は全盲というハンディを背負った男性、コバさんこと小林幸一郎さんの生い立ちを振り返る。20代後半で突然医者から進行性の網膜病を宣告され、普通の生活から白杖の生活に変わった小林さん。当時は生きることが精一杯で、仕事はどうするか、今後どうやって生きていくのかなどと悩みながら視力はどんどん悪化。現在は光がわからないぐらいの失明度だそうだ。そんな心のダメージを背負った彼が、ある時クライミングを始め、パラロッククライマーとしてプロで活躍する傍ら、日本のクライミングジムで子供達に教えている姿が目に映る。
一方、2011年から小林さんのナビゲーターとして一緒に遠征している鈴木直也さんは、「落ち着いて、大丈夫」「絶対落ちないから」と小林さんを励ましながら、最も重要な「目」の役割を果たしている。若い頃からアメリカに留学し、現地でプロのロッククライミングを習ってきた彼は、クライミングという目的達成感も重要だが、それ以上にその瞬間の感動を小林さんに体験してもらいたかったと語る。過去10年間に世界選手権で何度か優勝してきた小林さんも鈴木さんを信頼しきっている。通常のマイクやヘッドセットからでなく、下で走っている鈴木さんの「生の声」に励まされ、「言葉を聞いて心で感じ」ながら頑張れたそうだ。
さすがにロッククライミングは怖い。体験したことのない人でもカメラアングルからその高さが感じとれ、思わず高所恐怖症になる。この高さは見えない方が怖くなくて良いのか、いやそれではもっと危険だ、ナビゲーターの鈴木さんもこれは見ていられないだろうと考えながら映画は進んでいく。気持ちを込めながらギアを自分の決めた場所にさし、一度さしたら自分を信じるなど、なるほどとなるプロのアドバイスも聞ける。また常に体力と集中力が必要なクライミング。そこまでたどり着けるのかという不安と緊張感も彼らと一緒に体験できる。
「危険」でなく「楽しい」冒険の旅
小林さんはこのドキュメンタリーの主役は自分でなく鈴木さんだと話す。「一人の障害者がクライミングというすごいことをしているというような視点でなく、鈴木さんという人が自分と普通に過ごしている姿を見て、人生ってもっと楽しいものだと感じてほしい。1人で大変な事でも近くに友人がいて初めの一歩を踏み出せたら可能になる。それは大変ではなく、とても楽しい事なのです」と明るく語ってくれた。
相棒の鈴木さんは「僕はコバちゃんの横でただボーッとしていた」とジョークしながら、「これは危険というより冒険の旅。コバちゃんは20年以上クライミングをしているので危険さも知っている。今回が初めてのことでなく、監督に自分たちの日常生活を撮ってもらっていた」と前置いて、「ただギリギリまでどんな映画になっているのかわからなかったので、できてビックリだった」と微笑んだ。
このドキュメンタリー映画にはロードムービーのような旅の要素がぎっしりと詰まっている。「コロナでアメリカに行けない時間がとても長かった」と映画製作の苦労を振り返る中原監督。今回がデビュー作とは思えないほど、監督の描く太陽、オレンジ色の夕日や焚き火など綺麗で静かな景色にため息が出る。カナダにいても普段見ることのないアメリカのコロラド州やユタ州の岩山の大自然は見どころだ。2度見ると前に気づかなかった新しい発見をしたり、違う印象を与えてくれるのもこの映画の特徴のようだ。
人生とは一体何なのか。頂上にひたすら向かう小林さんを追いながら、一時間半があっという間に過ぎる。多くの人は観ているだけで小林さんの素朴さと素直さ、そして鈴木さんの優しさ、さらに2人の友情とそれを囲む監督やクルーの愛情に癒されるだろう。バンクーバーでの上映では彼らのゲスト出演があるので6月の上映と舞台挨拶を是非見逃さないで。
(取材: Jenna Park for 日加トウディJapan Canada Today Newspaper)
VIFF Centre, June 3-9


