松林要樹 Yoju Matsubayashi

 

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Yoju Matsubayashi ©2014 maplepress.ca

松林要樹監督

~「祭の馬」を語る~

後世にこの馬たちの話を伝えたい
馬との出会い

「花と兵隊」、「相馬看花 奪われた土地の記憶」やバックパックで知られる松林監督は始め人を撮るために被災地へやってきた。立ち入り禁止区域内で偶然撮った馬が数日後餓死したと知りかなりショックだった。なぜあの時餌を与えなかったのかと自分を責めた。そして南相馬で3ヶ月間、馬の世話のボランティアをすることにした。

初めてミラークエストの腫れた男性器を見た時、「いたっ」と思ったそうだ。男だからわかる視覚で、決して馬のことではすまされなかったという。そして自分の中で原発のキノコ雲の形とミラークエストの性器の形が比喩的なイメージとしてつながった。避難生活を送るうち一時小さくなり回復かと思われたミラークエストの性器も、その後いきなり去勢されてしまう。それも日本の切り捨て社会を象徴しているように感じた。ならこのミラークエストを絵本やおとぎ話のように後世に残したいと思ったそうだ。

飼育の世話をしていて初めて「砂浴び」をする馬を見た。その時馬は全身で感情を表現するいきものだと気づいた。よく観察すると雷がなった時の耳の様子などいろいろな感情表現をする。そんな馬にどんどん魅せられていったという。

大震災が変えた馬と人間との関係

東北大震災は馬と人間の関係を変えた、と監督は話す。通常馬は競走馬か祭りに使ってあとは食用馬肉という、人間にとって利益を得るための手段だった。しかし被災して戻った飼い主は生き延びた馬達を見て餌をあげ続けた。国から処分命令が出ても殺さず、お金のかかるペットにしてしまった。自分の儲けが全てなくなったのに一ヶ月4万円も馬に使う。その上自分になついていた馬の昔話をして「おれも年をとった」などと言う。震災がもたらした人間の心の変化も夢中でカメラに収めた。

一時ミラークエストが吊られているような光景があった。監督は「ちくしょー」という馬の気持ちを表現したという。しかしミラークエストはまだ生きている。震災で食用肉になれず、また飼い主に処分もされず、今年も祭りに出る。監督の表情が少し明るくなった。

松林監督にドキュメンタリー映画の制作について尋ねると、撮ろうと思っている物があるならあきらめないでほしいと答えてくれた。うまくできなくてもまず作り上げてほしい。監督自身も見直すとまた編集したくなるし、時間が経つとあの時こうしておけば良かったと思ったりもする。「だから自分でもう一回見るのがいやだ」と笑った。そして「制作費の問題はある」、「一喜一憂はできない」「でも腹を決めたらやりつづけること」と言ってしばらく間をおいた。「僕、これの第一部で震災で取り残された人を追ったんです。。。だから続けていけると言う事は運がいいということなのです」ときっぱり答えてくれた。

バンクーバー国際映画祭「祭の馬」の初日、月曜日の朝は雨が降っていた。しかし上映前に2列の長い列ができ、その半数以上がカナダ人だった。「乗馬をしていて馬が好きだから」という女性もいた。 上映後のQ&Aでも英語の質問が多かった。監督は自称「シャイ」でサングラスをかけているが、言葉を選んでとても丁寧に答えていた。 観客から「犬は好きだが、今までこんなに馬のことを考えた事がなかった」「奥さんを連れてもう一度来たい」などの声が上がった。祭りの馬は日本だけでなくカナダの人々にも感動を与えた。

監督の次作はブラジルのサンパウロが舞台。福島を故郷とする日系ブラジル人一世のおばあさんが、58年ぶりに帰国を考えている作品。今現地で撮影中。早ければ来年にも完成するので大いに期待したい。

バンクーバーは世界で一番住みやすそうで、また戻って来たいと笑顔で話してくれた監督。足元にはもちろんバックパックと三脚があった。

 

~The Horses of Fukushima~

日本,74分

監督:松林要樹

人災で被爆した馬にとって人間とは何か

バックパックで知られるドキュメンタリーの松林監督は今回福島原発で生き延びた元競走馬、ミラーズクエストに約2年間寄り添った。無冠の競走馬は通常お祭りに参加した後食肉処理になる。しかし震災後置き去りにされた馬は生き延びても「放射汚染」のレッテルを貼られ別の運命をたどる。はじめ人を撮るために震災地へ来た監督は、生殖器が腫れあがったミラ-ズクエストにカメラを向けた。 避難生活で無邪気なひとときを過ごし、再び福島の祭りに向かう馬たちの言葉のないメッセージを感じてほしい。

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Yoju Matsubayashi at VIFF ©2014 maplepress.ca

「相馬看花 奪われた土地の記憶」パート1を観て

幸せなある日、大震災にあって家を離れる。住み慣れた家から学校の避難所、そして最終的にアパート、仮設住宅、または親戚の家へ。心が一時も休まらない悲しさはクラウス•ドレクセル監督が取材したホームレスの人たちと重なる。「津波ならわかる、でも放射線で避難するなんて」という言葉が印象的だった。あるおじいさんはおばあさんが歩けなくて這ってトイレに行くので最後まで家に残っていた。そしてあるおばあさんは津波を見たから怖いという。津波は砂を持ち上げ、真っ黒な砂ほこりの後を白い波が追いかけるそうだ。

警察の入らない危険区域に食料を届ける市会議員、地方からやってくる支援のトラックや京都から来た警察が防災着なしだった。肝心の政府や東京電力は「調べる、大丈夫」とだけ言ってこんな時何をしていたのだろうか。

第一原発が建設された時、共産党だけが反対していたそうだ。元市議がこんなことになるとわかっていたらと後悔していた。使われなくなった飛行場やたばこ、塩工場がある日売られて原発に変わる恐怖。こんな悲惨な時に警戒区域で空巣狙いや犯罪が横行するという事実。また監督のカメラには残されてお腹のすいた犬、馬、牛などの映像もあった。なぜ家族であるペットを放っておくように指示があったのだろうか。これも悲しすぎる。1日も早く安全な家へ帰れるように。それがみなの願いだ。

この映画の季節、特にさくらやアジサイなど四季の花の映像が美しく印象に残る。外国に住み東北大震災について何も知らない人にわかりやすい素晴らしいドキュメンタリーだった。人間的に優しくなければこんな映画はつくれない。この監督に感謝したい。

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